Vol.29 ◆「混浴」−人類永遠のテーマとしての功罪−
【その一 混浴の営みの原点】
今、全国の主要自治体で、「混浴」を巡る条例の取り扱いで、取り締まる行政サイド、習俗様式・ライフスタイルを尊厳すべきとする観光産業サイドの論争や確執の激しさが、加速しつつあるようだ。
・12歳以上の混浴原則禁止 ⇒
北海道・岩手県・山形県・栃木県
・10歳以上の混浴禁止 ⇒
青森県・秋田県・宮城県・茨城県・埼玉県・東京都・三重県
・6歳以上の混浴禁止 ⇒
兵庫県(夫婦・親とその10歳未満の子・介助を要する者のための家族の混浴は認められる)
などと現在、各地で条例が制定されている。
現実的には「ただし書き」や適応除外規定を付け加えるなど、小手先の操作でその場を凌いでいるのが現状だが、ここにきて混浴の原則につき、国民サイドからも明確な指摘が突き付けられていると見たい。
まず、混浴の定義の背景に触れよう。 社会生活において最低レベルの決め事を作っておき、ヒトが二人以上いれば親子であれ親戚であれ、集団生活の守るべき約束や掟があり、この決め事がヒトの社会を成立させているということである。
”最低の道徳”として法律として守る義務と権利が、有史来2世紀余の間、紆余曲折はあっても守られてきたのだ。
食欲、睡眠浴、情欲など人間の本能に直接触れる営みには、民族や人種を問わず、地域を問わず、宗教、政治などの様々な権力の及ばないところに、大切に尊重されるべき領域が存在している。
伝統的な生活様式を現代の視点から眺めると、過ちや危険が予見されるし、混浴の様式なら、なおさらである。
混浴の始まりは、自然現象としての温泉湧出により岩石や砂により堰止められた大規模浴槽と、転がせる球形の石を集めて下から薪をたき、燃焼した石を下に設けた冷水槽に投入して加温する”沸かし湯”の2つの方式が、伝説、神話、古代中世絵画、宗教絵画などから、私見ながら紐解くことができる。
そこにあるのは、集団としての生活の営みであり、男女の性の意識も区別も存在していない。
そして、水浴びの目的は、ローマの女神『ヴィーナス(ウェヌス)』(サンドロ・ボッティチェッリ作)、『浴槽の女』(エドガー・ドガ作)、『女性大浴女図』(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)等に描かれているように、清める・洗う・リラックスするというヒト本来の生活にある。
つまり、混浴の営みの原点は、男女が共存する風景の意識ではなく、まず温浴という性意識を超えた生活の楽しみにある、という順位を正しく認識することを確認した上で、混浴の論議に入りたい。
(次回に続く)
それにしても、長い冬が終わったかたと思ったら、もうゴールデン・ウィークだ。春を堪能する暇もなく、今年も富士山麓にある別宅の畑を耕す重労働が待っている。老体に鞭打つご褒美に、混浴なんて最高なんだがな。いや、失礼。ではまた。
(1205-029)