Vol.11◆尊厳と品格のみえない“事業仕分けバラエティ”を嘆く
イタリアの政治学者アントニオ・グラムシの政治理論である「政権交代のある民主主義」において、彼はこれを現代版“政治改革”の一つの形としている。
鳩山内閣の設立当初は「無血の平和維新」、「官僚依存からの国民への大政奉還」等日本の形の変革に、勇ましい謳い文句に国民は酔った。しかし現在総てのマニフェスト項目がばらばらになって崩れはじめている現在、気になる大問題に国民は気が付く必要がある。
唯一つの新政権の取り柄は「事業仕分け」だ。これは国民誰一人、官僚OB天下りの現状を認めないことを金科玉条のテーゼを土台に政府予算、行政の業務、それを支える公益法人を血祭りに上げ、報道機関も国民もこの国家的ワイドショーにこぞって拍手する構図が気になる。
本来かつての大蔵省主計官の専業であった手法を政治家でなく、政治屋レベルに託している構図だ。大蔵官僚の裏切りと臍(ほぞ)をかむ多くの若い優秀な官僚も多い。
この民主党のワイドショー的主役達も2~3年前はお笑い番組やバラエティ番組に常連で出演し大衆化をPRしたかもしれないが、政治の論壇に論文を書き、論陣を張ってきた御仁は見当たらないのは何故か。
筆者が指摘したいこの“仕分けショー”の最大の過ちは、無駄な費用、必要性と効率の低い事業等論議の対象に永年取り組んできた教育研究や科学研究分野に特段の思慮もなく土足同様に踏み込んだ事実である。具体的に説明員の一人の老教育学者が、“説明を良く聞くことなく発言を阻止するのですか?”の逆鱗する発言や“スパコンは世界一位でなく、第二位ではいけないのですか?”との応答に、ノーベル賞受賞者全員が集まり記者会見で抗議したやりきれない構図に、弁護士やタレントあがりの仕分け人の若い政治家の反省の言葉も聞かない。
かつては大蔵省主計官の業務仕分け手法をこの政治屋に伝授し、官僚への裏切り行為だけを取り上げてもその罪は大きいし、臍をかむ若い官僚が気の毒だ。有能な青年の官僚志向離れを恐れる。
問題は教育や科学分野での事業仕分けは最も馴染まない職種の人達の認識が不足していることだ。教育や科学分野にこの種の政治を持ち込むなら欧米先進国で示される、一定の品格と尊厳を重んじる対応への配慮は必須だ。
グラムシ理論の真髄は政権交代の形だが、残念ながら日本のそれは“空虚な空言と下品な政治バラエティ”で終始するのだろうか?
それにしても、我が家でも頭だけでなく影の薄い学者の身の私にも、慈しみと尊敬が希薄になりつつある傾向はどこかの仕分け騒動に似ていると感じられるのだが、ナントカナラナイダロウカ?
では、また。
(1006-011)