Vol.24 ◆“霞ヶ関モード”のクールビズ物語
―ファッション感覚不在の官製スタイルに配慮を―
現代の奇妙?で思わず噴き出してしまう(≒今風にするとチョーオカシイ)社会現象の最たるものに“クールビズ・ファッション”がある。
ファッション世界のパリモードとかNYモードならぬ、省エネ、CO2削減をテーマに掲げた“霞ヶ関モード”とも言える、なり振り構わぬ老婆の厚化粧(失礼!)に似た?得体の知れない官製スタイルを推進する真剣さが、滑稽に感じるのだ。
失礼ながら伝統衣装、装い感覚、美的意識、流行性、衣服素材感覚等ファッションは、お役人には無縁の世界であるとの認識が無さ過ぎるようだ。
つまり、“船は船頭に任せよ”の諺のごとく、テーマに添って専門家に託すべきなのだ。役人のスネ毛丸出しにした半ズボン姿(NHK放映)を見ただけで目をそむけたい気持ちを通り越して醜悪としか映らない。
1979年からの省エネ対策では、大平元首相らの半袖背広の「省エネルック」はとってもステキ過ぎて不評に終わったが、ある調査によると、2005年に小泉内閣のもとクールビズを国が提唱してからの3年間で国民の約半数(46.3%)が実行した。ちなみに、これに掛かる支出は約42%が身銭を切り、うち1万円未満が25%、1〜5万円未満が29%とか。かく言う私は代表的身銭切り派のひとりだ。
「夏の軽装」モードの延長に、女性にあっては限りなくビキニスタイルとも受け取れるファッションは、世の男性諸氏の目の保養にはいいが、気が散って仕事にならない。対外ビジネス交渉、国際交流等、一定の規範で仕事をする企業経営者や経営幹部、それに海外ビジネス管理者等は、この現象に心ならずも賛同していない層であるとの理解は必要だ。
スーツとは19世紀英国で誕生した単語で、「一続き」「一組」「一揃い」を意味するsuiteを語源とし、本来、上着・ズボン・コートの衣服構成から成るもので、英国貴族紳士の嗜みとして着られていた様におしゃれなものとされ、ネクタイはルイ14世の宮廷ファションの一部と、それぞれに服装の歴史が刻まれている。
その後70年代の米国東海岸でブームのアイビーファッション、ニューヨークスタイル、80年代のデザイナーズブランド、イタリアンスタイルから今日に至っており、ユニフォームの歴史がある。つまり、仕事着の原点は裁判官用の法衣に似た威厳と格式の世界から始まっているのだ。
しかし、暑苦しい上着は脱ぎ捨てて、相手に不快感を与えない程度にノータイのYシャツから伝統の沖縄「かりゆし」ファッションも大いに結構ではないか。
さりとて、役人モデルの真っ赤のアロハシャツ姿には“なんでもあり”の時代を演じている、まさにバラエティ番組そのものの気分で感動は不在だった。
それにつけても今年の節電対策の中、サラリーマンが実行する「スーパークールビズ」の実感としてアロハ、Tシャツ、サンダルもOKというなんでもアリ感覚が、“戦の装具“から儀式用となった甲冑の歴史と同じで、本来は兜であるべきところを麦わら帽子に取替え恥じることなく闊歩する姿に似て、「そんなのアリ?」という滑稽さを感じているのは私だけなのだろうか?では、また。
(1109-024)