Vol.47 ◆中学1年生に託されたダイナマイト着火体験◆
-学徒動員で地下軍事施設建築工事の体験を悔悟する-
安保法案改正をめぐり議論が白熱している最中、敗戦直前の旧制島根県立松江中学1年生時の稀有で驚きの私の人生体験をお話ししよう。
未公開の情報だが、当時の混乱した時代を象徴するように、最高に危険極まりないダイナマイトによる航空隊の弾薬・備品用地下倉庫トンネル作りの掘削爆破作業班として、実務を2か月余り経験したことがある。
そこでの戦争の実体験を紹介する。
第1にこの仕事の命令系統だ。中学校OBの臨時職員に連れられ出雲市郊外の乙立町に到着後、特に選ばれた5名の生徒は何故か通常の仕事から離れ、現地の軍属配下にされる。そのうちの1人が私だった。そして向かったのは立久恵峡(たちくえきょう)にある海軍地下軍用倉庫建設のためのダイナマイト掘削工事の現場だった。グループは特別行動で期間中もその後も憲兵から、中学校当局にも友人にも作業について一切の口外を禁じられていた。
第2に作業内容だ。概略はダイナマイト爆破作業であり、次いで実弾装填指導であり、爆破までの装填作業実務となる。私どもの班は1名の工兵隊員を班長として、技術担当の軍属の少数のグループによる爆破作業者という体制だった。
第3に装填の詰め込み実務の実行だ。爆破装置までの炎管はクレヨン程の真管(しんかん)に柔らかい大人の中指程度の太さの爆薬補助剤を巻きつけ、火薬導線を結びつける。点火方法と着火指導を受けた。着火後の退避要領を確認し、蝋燭(ろうそく)で照らされている脱出路に懸命に退避するのであり、「イチ・ニー・サン・・・」の掛け声で10を数える頃、全員が脱出路に頭を向け決められた動作で伏せる。
工事用火薬倉庫から一抱えのダイナマイト真管100個相当の運搬も担当した。爆破労働期間は僅かだったが、12や13歳の年齢での激務と危険な仕事であったことを今思い返し、以下に感慨を抄録した。
学徒動員一年生がダイナマイト装填爆破作業を体験した背景にある戦時下の国の威信、国民が果たす義務と権利など、事実や問題点が存在することを身をもって体感したが、戦時中とはいえ中学1年生に課された危険で過大な動員作業の論議は皆無であった。
戦時下での青少年の軍事参加についての国の対応、戦争が保持している現実の脅威を後世に遺したいという気持ちは、懺悔(ざんげ)の念からの反省とともに様々な問題点の解析も絶対に必要である。あわせて国民的な将来に対する施策に検討の余地が余りにも多いことも指摘したい。
今、日本の将来を考える時、現存する“戦争経験者が感じる現代に繋がる歴史感”には、明白な責任の説明と確認が必要だ。
日本国民の一人として、私たちの過去の正しさや反省点に配慮の上、将来の国の展望が求められている筈だ。
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