Vol.36 ◆「日本三大随筆」と日本人の心
「春はあけぼの。… 夏は夜。…」現代の夏は寝苦しい熱帯夜が続くことが多く、そのような風情には程遠いものがある。という訳で、今回は日本人の時代別思考を新しい視点から検索してみようと考えた。
私の80年余の人生で、どうしても触れておきたい事柄の一つに日本人としての歴史観がそこにあるのだ。
日本人の持つ歴史観というと、今は何やら隣国といさかいをしているような感があるが、そうではなく、その時代背景とか、古の人たちの心の内をひも解いてみようというものだ。
さて、日本の三大随筆といえば、枕草子(平安時代(993~1008年頃): 清少納言)、方丈記( 鎌倉前期(1212年):鴨長明)、徒然草(
鎌倉後期(1324~1331): 兼好法師)であるわけだが、簡単に一つずつ見てゆこう。枕草子は「をかし」という言葉を多用し、平安時代・摂関期の貴族社会や自然美を主題として、季節の移りゆく様や心情を敏感に描いた作品。
大体、「春は曙」(春は明け方がいーね!)などと、誰もそんなことを書にしたためるなんて事はしなかったであろう。それだからこそシンプルな表現の中にも哲学を感じるのだ。
続いては方丈記。方丈(約3m四方)の庵での閑居生活のさまと心境を記したもので、人とすみかの無常を主題とし、仏教に照らして内省を深めたエッセー。「行く川のながれは絶えずして、しかも元の水にあらず」なんて書き出しからして、すでに世の無常が表れている。
しかし世捨て人とはいいながら、和歌や音楽を捨てることは出来ないところに心の葛藤があったのではと思う。
最後は徒然草だ。徒然草には一貫した筋はなく、連歌的ともいうべき配列方法がとられている。人生の中の様々な謎に対して自分なりの答えを見つけたと思ったときにそれを文章にしたものであるが、「つれづれなるまゝに~」などと暇に飽かせてつまらないことを書いたものだと謙遜してはいるが、かなり世の中の愚かしさを言い当てているようでもあり、裏を返せば自慢話というところか。
「日本三大随筆」は歴史の上から日本の民の思想や哲学の変遷や基礎を読むことが出来る、永年私が求めてきた向学の書と考えている。
宗教観、階級、世代、思考歴等、広範囲な日本人を描く歴史観を見渡し、当時の様の見聞を可能にしている様はその価値も高い。
特に注目しているのは、簡素で清楚な表現によりその意図の深さと広さを表現している各々の序文形式である。この3作品に共通性のある序文の数行の行(くだり)には優しい表現ながら奥の深い哲学が読みとれる意義が多々存在するのである。
その基本に、各作品の内容を理解する上で序文も本文も、その前後を再読すると更にその真意が理解できることを物語ってくれるという魔術を何時も痛感している。
作品完成から千年近く経ったいま、”日本人のこころの生き様”を理解して、現代の日本が忘れていたもの、学ぶべきところを見つけていただきたい。
それはそうとして、徒然草(第一段)にもある「人は容姿が優れているのがいいと思われがちだが、本当は、話をして不愉快でなく口数少なく感じの良い人こそが、いつまでも一緒にいたいと思うような人である。」と言われたい。すでに容姿は諦めているが、今から内面を磨くことも、もはや手遅れか。さてはわが道を行くのもいとおかし。ではまた。
(1408-036)